私達の先祖は、神に祈り、神の意志に逆らわないことで豊作を約束されるという考えを持っており、神に祈る時は火をもって清め、清浄な心と体で誠意を示すことが条件とされ、素朴な神に対するうやまいが祭りの原点となり、奉納花火が出来たと考えます。
立江の八幡さん、中田の八幡さん、田野の天王さん等に奉納する花火として徳島県下に知られる行事も藩政政時代の吹筒の技法が秘法として代々伝えられ、若い村の衆が山にこもり調合した吹筒花火の成果を競い、花火の火の粉の中で舞い歌った。これらの青年が花火製造の予備軍的な役を果たしてまいりましたが、昭和三十年代に法の改正があり、最盛期には臨時列車も出して夜を徹して行われた立江の花火も、最近は細々と業者による奉納花火と変わってまいりました。
これに反して夏の納涼的な花火大会が盛んになりました。徳島県小松島港の港まつり、更に沖神社の祭典花火、横須の戎神社の奉納花火と、一市単位でこれほどいろいろな花火大会が行われるというのも昔からの花火処というほかはありません。製造としても西日本では一番の産地であり、製品は四国四県から西日本一円にかけて各地のイベント等に 活躍しておりまず。
最近では外国からも引き合いがあり、徳島県小松島市の花火が世界の空で花開くたのしさを思います。また、徳島県の観光イベントとして、小松島市で、ぜひ花火大会を開催できないものかと話し合っております。
さらに、交通網が整備完成されれば、もう一段の飛躍も夢ではないところまで成長しており、これも 昔からの花火好きの土地ゆえのたまものであると感謝いたしております。(佐賀裕)